④Memories of my dance life 道行く先
19歳から28歳頃までの
10年近くを
山梨のダンススタジオで学び
ジャズダンサーとして活動しました
その間
自主的に
東京のスタジオへもあちこち足を運び
ビジターでレッスン受けたり
見学したりもしましたし
同じく東京へ
様々なダンス公演を観に行きました
(もちろん勉強のため
クラシックバレエから
コンテンポラリーやジャズまで様々)
細かいところまでは
なかなか思い出せませんし
書くと膨大になってしまうので
ざっくりと
どんなダンサー活動をしたか
思い出してみますと
(時期的な順番はバラバラです)
イベントのアトラクションや
フェスティバルでのパフォーマンス
自作自演フォーラム舞台への定期参加
(スタジオ単位ではない資格で参加)
コマーシャル出演
テレビ生番組出演
舞台関連会社のパンフレットの
ダンサーモデル
(これだけは
社長から個人的に依頼を頂きました)
劇団の舞台作品のダンスシーン出演
他ジャンルとの
コラボレーションパフォーマンスや
コラボレーション舞台作品への出演
レッスンアシスタント
インストラクター
あくまで項目として
大まかに書くと
だいたいそんな感じでしょうか
10年近くの間のことなので
回数的にも
それなりの数です
けっこう広範囲に
様々な経験ができたことは
本当にありがたい限りです
先生やスタジオに対する
信用が大きかったことは
言うまでもありません
これらの経験や
スタジオでのレッスンの日々が
その後の私のダンスライフの
ベースになっていることは確実です
10年近く所属したダンススタジオも
年月とともに様変わりし
(私はその状況を知りませんが
ジャズダンスブーム時には
生徒が200名を超えていたらしく
現YCC県民文化ホール大ホールでの発表会も
満席になるほど盛況だったらしいです)
生徒数もレッスン枠も減り
パフォーマンスも減り
私の中と
スタジオの在り方との間に
様々なズレや葛藤が生じ始め
確か
29歳になる直前
28歳の時だったと思います
スタジオにとって
私がいなくなることが
痛手や迷惑になることは
わかっていましたが
悩みに悩み抜き
スタジオを辞める決意をしました
スタジオで
先生と二人きりの時に
決意を告げました
先生は
承諾して下さいました
道行く先は
はっきりとは見えないけれど
辞めない限り
先に進めないことだけは確かでした
(ダンスに限らず
人生においてステージが変わるとは
そういうものです)
まず辞めてから
ちゃんと向き合おう
そんな感じでした
迷いながらの
自分自身との向き合い
ダンスとの向き合いの日々は
まだまだ続くのです
辞めてからの道のりは?
ベリーダンスとの出会いは?
⑤へ続きます✨
↓↓↓
約20年前の私
この日本舞踊とのコラボ舞台では
天女役で
持っている布は羽衣なんですが
ベリーダンスのベールみたいですね❣️
繋がってますね~💗
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