⑩Memories of my dance life ブームの光と影【追記あり】

ブームには
爆発的なパワーがあります

表面的には
華やかで
勢いもありますし

知れ渡るという意味では
必要なことだったと思います


盲目になりやすい
という面もあります
(もちろん
それにも意味がありますね)

光と影
ですね

まるで
流行り熱にうかされたような
ブームの大波(大嵐?)の中
信念を曲げなかったK先生

周りに
仕事仲間や
生徒が
どんなにたくさんいたとしても

孤独な闘いの中にいたのではないか
と想像します

本当にすごい人というのは
「孤高」

次元が違いますからね

レベルの高い人でなければ
人々を
高いところへ
引き上げることはできません

当然ですね

今は
そのレベルに上がる時です

時代が変わりましたし

10年前のブームの名残を
未だ手放せないとしても

ブームで通用したことは
ブームとともに終わっている
ということです


10年前のブーム時
スクールが
朝日新聞に掲載された時の記事では

生徒が
約600人‼️

クラス別とはいえ
600人が
ひとつの
それほど広くはないスタジオに
毎週通うのです
(人によっては
週2回や週3回)

さらに多い時があったのかどうか
わかりませんが
(当時の他の教室の状況もわかりません)
ひとつのスタジオでは厳しい数です


私の記憶にあるのは

山梨へ移った後
まだ
初級クラスに
コツコツ通っていた頃かと思いますが

ブームがピークになる頃
2008年だったでしょうかね・・・
(2012年くらいまでがピーク期かな
と感じます)

1クラス20名はあたりまえ
(スタジオいっぱいで
時間内でのレッスン進行は
とても大変)

とか

スタジオへの問い合わせ等の電話も多く
ベルが鳴って
受付スタッフが応対して
切って
間をほとんど置かずに
またベルが鳴る

とか

電話のベルが
レッスン中何度も
スタジオに鳴り響くので
レッスンしずらかったですし
(気が散り気分を害するくらい)

受付スタッフの方も
レッスンで
音楽が大音量の中での
電話の応対は
本当に大変だったと思います

生徒に加え
体験者も毎回たくさんいました

先生方も
本当に大変だったと思います


ほとんどの生徒が
ビギナーか
進んでも初級程度で
やめていったのではないかと思います

ブームに加え
ダイエットに効く等
メディアの煽りも激しかったので

ダイエット目的の
生徒が大半という感じでしょうね

正直なところ
何をしにきているの?的な人もいました(笑)

スクールや先生も
テレビや雑誌にたくさん取り上げられ
(雑誌の記事の切り抜き等
私もたくさんファイルしてあります)

できる限り対応し
先生なりに
ベリーダンスの良さを伝えようという
想いも感じていました

あまりの取材の多さに
もしかしたら
お断りしたお話もあったかもしれません

どう考えても
先生の身がもたないです

レッスンだけでも大変なのに・・・


スタジオに人が出たり入ったり
常に落ち着かない感じに
レッスン以上に
疲れてしまったことも
あったように思います


ブームまかせで生徒が来る
状況下では

講師レベルの実力がなくても
インストラクターになれてしまう
(過剰な需要に対応するため)
という流れになりやすく

これが一番問題なのですね


これで先生になれるなら
私もなれる

これでベリーダンサーなら
私もなれる

連鎖になりやすいのです
(まさにミラーですね)


当時
スクールにも
ビギナークラスがたくさんありましたが

たとえビギナークラス担当であっても
インストラクターは
上級クラスまで昇級することは必須
という姿勢は
一貫していました

インストラクターは
ダンスの基本を理解し
ベリーダンスの技術や表現を
高いレベルで踊れることが
前提だからです

ビギナークラスは難しくないから
実力は関係ない?
踊れなくても務まる?

やっぱり
おかしいなと思います

むしろ
まだ何もわからない
ビギナー向けクラスだからこそ
ダンスの基本を理解し
本当に踊れること
つまり
ベリーダンスの良さを表現できる
講師が必要と思います


そのような状況なので

たとえ東京であっても
観て頂くものとして
程遠いようなショー
(有料のものまで含め)
少なからずあったようです

踊れていない
それ以前に
ダンスになっていない・・・
(私も観た経験あります)


スクールでは
安易にショーや披露をしないという
姿勢も一貫していました

スクール以外で
披露をするような場合
必ず
講師によるチェックと許可が必要でした

そして

所属ダンサーのオーディションを受ける場合
ステイタスではなく
ダンスを真摯に追求する意志があることを
条件としていました


発表会も飽和状態でしたね

山梨からの参加は難しく
私は
発表会を
観る側から参加し
学ぶしかなかったのですが

2日に分けないと
エントリーした生徒全員の
発表に至れない状況

演目数も多く
さらに
ひとつの演目での生徒数も多く
続けて観ていると
目が回るようでした

途中に入る
中級以上のレベルの高いダンスや
講師のソロ
お芝居が作り出してくれる
間(ま)に
少しホッとする感じです


私が観る側に徹していたことは
マイナスではなく
恵みでしかないですね

客観的に
冷静に
様々なことに気づけますし
見えてきます
とても貴重なことです

なので
今も徹しています


発表会を無事に終え
「2日間死んでました」と
先生からメールを頂いたこともありますし

終演後
先生に直接会った時
舞台挨拶ではわからなかったのですが

先生の両目が
痛々しいほど
真っ赤に充血していて

私:「先生!目が真っ赤・・・」

先生:「あ~寝てないから(笑)」

なんてこともありました


先生の純粋さと情熱には
本当に泣けてきます
(こうして書きながら泣きそうです)

そんな先生の背中を見て育つ
ダンサーや講師陣達は
本当に幸せなのです

講師陣は皆

信用ある
売れっ子ベリーダンサーでありながら

それぞれがプロとして
ダンスを追求しています

ベリーダンススタジオを開設・運営したり

本場エジプト等海外へ赴き
さらに学んだり

著名なダンサーや指導者
振付師の
ワークショップに参加したり

自身のダンスを磨くことはもちろん

パフォーマンスを企画したり
他のジャンルのステージに参加したり

オリジナリティの宝庫ですし

K先生と同じく
ひたむきなのです

ダンスへの尽きない愛が
本物だからですね


余談ですが
ブーム繋がりで・・・

1980年代の
ジャズダンスブームも
すごかったようで
いろいろあったようですね
(リアルタイムでは知りませんが
ジャズダンス専門書によると)

80年代は
バレエは定着していたようですが
ジャズダンスだけでなく
ブレイクダンスや
ダンスとは違いますがエアロビクスも
ブームがあったり
いろんなムーブメントがあったのですね

当時のダンス映画
「フラッシュダンス」や「コーラスライン」

私もジャズを始めてから
ビデオで何度も視ました

そんなダンス大活性時代
ブームの流れに乗るように
突然(というか急遽)
ジャズダンスの看板を掲げ
教え始める

というおかしな現象もあったようです

当然ですが
簡単に踊れるものではないので
(教えることはさらに難しい)

すぐに限界が来ますし

それ以前に

自ら掲げるものを
簡単に変えること自体
信用できないです・・・

ブームはあくまでブームなので
冷静な状況判断が必要ですね


⑪へ続きます✨



0コメント

  • 1000 / 1000