⑤Memories of my dance life 分岐点
スタジオを辞め
ひとつ
自分の中で区切りをつけてから
もちろんジャズ自体を止める気持ちはなく
(当時の時点で
雑誌の特集記事で「ベリーダンス」を
2度程目にしつつも
特に興味も惹かれることもなかったのは
私にとってその時ではなかったのでしょう)
ただ
山梨とは違う
(いろんな意味で狭い感覚があったので)
もっとレベルの高い
意識や視野の広い世界に身を置いてみたい
という
自分の気持ちに従い
毎週は通えないけど
東京のある有名なジャズダンススタジオに
行こうと決めました
それまでに
カンパニー公演に足を運んだり
見学やビジターでレッスンしていたので
相当レベルの高いスタジオ
ということもわかっていて
幸い
購入日からの有効期限が長いチケット制
(確か10枚綴りで1年間有効)
だったので
会員になりました
それから約1年間
コツコツと月に1~2回通いました
(当時はプライベートの方が大変な時で
個人的にもいろいろと変わり目でした)
基礎~上級クラスはもちろん
シニアクラスやバレエクラスまでありましたが
プロアマの
レベルの高い
すごいダンサーがたくさんいて
山梨で活動したことなど
全然大したことないんだな~と
つくづく感じました
レッスンでは
受講者の本気オーラや
主宰の先生への信頼がものすごいので
圧倒されますし
刺激にもなりました
レッスンの中身そのものよりも
(中身がすごいのは当然です)
その大いなる刺激の方が勝っていて
すごい世界を肌で感じながら
楽しんでいましたね
例えば
同じ「初級」
でも
スタジオのレベルによって様々
天地の差があります
(スタジオのレベル=意識レベル
とも言えますね)
1年後
3年後
5年後
さらに先の
成長や上達度合いに
大きな差が出ます
同じ1年が
全く違うものになってしまうのです
(実際
ショックなくらい
目の当たりにしてきたので
これは確実です)
だからこそ
「レッスン」という時間を
真に価値あるものにすることは
本当に本当に
大切なんですね
(指導者の
ダンスやレッスンに対する意識や姿勢が
生徒に反映されますので
指導者自身の在り方が大前提なのは
言うまでもありません)
なので
あらゆるスタジオを自分の目で見て
見極める必要があるのです
(見極める感性も必要です)
約1年後に
カンパニー公演(超レベル高い一流舞台)の出演ダンサーのオーディションがあり
ダメもとで(月1~2回で通るわけなし)
貴重な経験として受けてみることにしました
会員であれば
プロアマ関係なく受けられますが
ダメもととはいえ
本気で取り組まないと失礼ですし
ものすごい緊張感の中で踊るので
本気でなければ
その場にすらいられなくなります
最初にコンビネーション(短めの振付)を
渡されます
といっても
レッスンではないので
解説等は一切なく
カンパニーのダンサーが
コンビネーションを数回流すのみです
それをその場で覚え
ダンスとして再現できなければアウト
(再現できて初めて審査対象ですからね)
3人ずつコンビネーションを踊り
数名の審査員
(カンパニーのトップダンサー)
が
前後左右から審査します
それなりに踊れたかなと
自分では思いましたが
(毎回オーディションに合格している
すごいメンバー達の中にいれば
存在感ないよね~)
後日
合格者が貼り出され
当然のごとく
不合格です
(この不合格も
今思うと恵みでしかない)
当時の私の精一杯は出したので
落ち込むことはなかったです
(この舞台に立てたら本当に素晴らしいな~
という気持ちはもちろんありましたよ)
そもそも
会員とはいえ月1~2回しか
レッスンに来ないというだけで
カンパニーメンバー対象外でしょう
すごい世界だな~と
感心すると同時に
私は本当にここを目指したいのか?
という疑問も湧いてきたり
当時は
自問自答ばかりしていた記憶があります
答えを知っているのは
自分だけですからね
その後
個人的事情で
山梨から東京へ移ることになりました
不合格となり
そのスタジオはもういいかなと
私なりにやりきったかなと
東京に移ったにもかかわらず
通うのを止めました
不思議なものですね
東京に移ってから
しばらくして
地元のスタジオを探し
やはり11回分のチケット制
(しかも無期限+1回分おトク!)で
時々
レッスンに行くという状況となり
久しぶりにステージにも立ちました
もちろん
まずは見学して
信用度や
良い先生
良いスタジオ
であることを見極めたので
レッスンも中身が充実していて
やりがいがあって楽しかったですし
(毎回違うテイストの
レッスン用
ダンスコンビネーションを作る先生に
いつも感心しきり)
ステージも
山梨ではできなかったような
振付やパフォーマンスに取り組めて
すごく楽しくて
勉強にもなりましたし
素晴らしい経験をさせて頂きました
(反面
この頃父が病死し
ダンスに向き合えない
苦しい状況もありました)
そんな日々の中
少しずつ
自分の中に
ジャズダンス以外のダンスに
触れてみたい気持ちが
出てくるのを感じました
そこで
バレエを改めてやろうかなと思いながらも
何か違う
フラメンコの体験レッスンを受けてみたけど
何か違う
何を踊りたいのか
わからないような
わかるような
揺れに揺れながら過ごしていたある日
いよいよ
ベリーダンスとの
本当の出会いが訪れたのです
(私の準備ができたから
ということになるのでしょう)
私のダンス道の
まさに分岐点となる出会い
山梨のスタジオを辞めてから
5年の年月が経過していました
⑥へ続きます✨
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