⑨Memories of my dance life 距離【追記あり】

再び山梨へ移り

当然
東京のスクールに通うには
様々な障害があります

ここで言う
距離
ですが

表の

スクールとの距離

の裏には

「自分との距離」

もあります

再び
ダンスの学びに加え
自分と向き合う
という
学びの年月が始まりました


東京へ
ジャズのレッスンに通った時のように

月に2回が限度

チケット制ではなく
月謝制だったため

一見
損をしているように思えますよね
最低でも4回分ですし
(交通費もかかりますしね)

ただ

山梨に
信頼できるスクールはなく

私にとって
その2回は

本当に
かけがえのないものでした

距離は全く関係ありませんでした


距離があるからこそ
気づくことがたくさんあるのです
その学びが「宝」です


スポーツクラブのイントラ募集に
応募した時期と

初級から中級への
昇級テストを受けた時期

どちらが先か後かは
忘れてしまいましたが

確か同じ時期
(さらに1年間くらい
初級クラスにコツコツ通ったかもしれません
山梨でさらに転居したり
変化大きく記憶が交錯していますが
プロセス自体に間違いはありません)

テストの申し込みをし
日時を調整し

K先生と1対1
スタジオが入るビルとは
別のビルにある事務所

緊張で震えていました

実技の中身は書けませんが
テクニックが中心です

先生は
前から
横から
後ろから

くまなくチェックします

そして
全てのテスト項目に合格すれば

めでたく中級クラスへ

「合格です」

先生のお言葉に

一気に緊張の糸が切れ
倒れてしまいそうでしたが

それよりも何よりも

嬉しさが勝っていて

帰りの電車の中では
ワクワク
心が浮き立って
じっとしているのがつらい感じでしたね
(K先生のレッスンは
中級以上でないと受講できませんでした)

ひとりで
笑みを浮かべていたかも?(笑)
しれません

初級を数か月

テスト合格後

中級クラスへ通い

1年後

次は

中級から上級への
昇級テストを受け
合格

同じく
心浮き立ち(笑)

さらに1年間

山梨から通いました

上級クラスへの昇級テストでは
ベリーダンスだけにとどまらない
テクニックも審査されます
(上級クラスは
ベリーダンスインストラクターになるための
必須クラス
スクールのインストラクターや
ダンサーとして働くためには
さらにオーディションがあります)

中級クラスは
振付の難易度がぐっと上がり
いろんなダンステクニックが要求されます
その習得度合いまで
審査されるということです

フュージョンも
オリエンタルダンスレベル
中級以上は必須です
(「ベリーダンスのフュージョンスタイル」
というレベルに至るには必須ですね)

オリエンタルも
フュージョンも
どのベリーダンススタイルも

良いダンスを踊るためには
ベリーダンステクニックだけでは
ダメなのです

そこを正しく理解できているかどうか
習得できているかどうかで
ダンスの質が全く変わります

とても重要なポイントです

ここでは
ジャズの経験が生きました
(やはり無駄はないのですね)

ジャズは
バレエと並ぶ
ダンスベーシックです
ダンスとして踊るための
大切な要素が満載です

ジャズと一言で言っても
スタンダードなスタイルから
モダンジャズ
コンテンポラリージャズ
ストリートジャズ・・・
表現スタイルは多様です

どれも
それぞれの価値が確立しているからこそ
成り立つスタイルです


中級クラスは
週にいくつかあり
時間帯を選べ
昼間に行くことが可能でしたが

上級クラスは
さらにメンバーが絞られるため
月曜日の夜の1枠のみ

夕方
山梨から東京へ向かい
帰宅は
日付が変わる頃

とんぼがえり状態でした

レッスン後は

電車に乗り遅れまいと
人で混みあう歩道や新宿駅構内を
レッスンバッグを抱え
小走りで移動し

電車に乗る頃には

汗は止まらないし
脚はガクガク

レッスンだけでも
かなりの運動量で
汗だく

それに加え
人をかき分け
駅にまっしぐら

特に脚はきつかったです
駅の階段とか(笑)

毎回
本当に必死でしたが

身体の疲労は半端ではないながらも
心地よいのです

ビデオカメラにおさめた
先生の
素晴らしいレッスンや振付を
何度も
視ては学び
視ては練習

の繰り返し

学びと振付をしっかり身につけてから
次回のレッスンへ臨む

の繰り返し

そうまでしても
レッスンに行きたかったですし

K先生のレッスンは
最初の衝撃のレッスンと同様
毎回
本当に素晴らしかったです
(今も変わらないはずです)

そんな経験ができたことは
とても幸せなことであり
私の誇りです

ブームの大波の中で
その煽りに
流されることも
溺れることもなく

ベリーダンスの
格を落とすようなことは
一切せず
徹底していた先生の情熱と努力は
計り知れないものがあるはずです

いつだったか
ポロっと
「死にそう」
口走っていたのを思い出します

本音ですよね
当時の先生の気持ちをを想うと
今でも涙が出そうです

(すさまじいブーム時の様子等は次回へ)

今でもトップスクールである証しですね
信用なしにはあり得ません


さて

後楽園スポーツクラブの方はというと

イントラ募集に応募し

面接

採用

こちらもスムーズに決まりはしましたが

なんせ
正式なインストラクター業は初めて
フィットネス施設ももちろん初めて

ベリーダンスはまだまだ未熟
教えるなんてとんでもないことです

ジャズ経験からのストレッチを教えること
(ベリーでの経験も包括しての)

まずはそこからのスタートでした

さんざん勉強したり
行ってきたストレッチとはいえ

最初は緊張もしましたし

1時間枠に
どのようにプログラムを組むか考え
練りに練り
作り上げたものの

参加者に
受け入れてもらえるかどうか
気になりながら

毎週毎週
コツコツとこなしていきました

最初は確か
3人とか
そんな人数だったかと思いますが

徐々に
6~7人くらいになり
定着していった感じです

後楽園スポーツクラブ以外の
フィットネス施設(全国チェーン)
にも
面接に行きました


ひとつめのフィットネス施設は

ストレッチで1時間?と
鼻で笑われ
私の方からお断りしました(笑)

もうひとつのフィットネス施設の方は

ひとまず採用となりましたが
時間帯や立地の面で
なかなか人が集まらず

半年ほど様子をみましたが
状況が変わらないため
辞める運びとなりました

ということで

結局

後楽園スポーツクラブのみで
毎週
コツコツ

そして今年で13年

試行錯誤も
苦悩も
つらいことも多々ありながら

今やっと

本格ベリーダンスレッスンに至りました

(ダンスをちゃんと理解してもらうのって
本当に大変・・・
身にしみます)

クラブでの学びだけでも相当なものです
ありがたい限りです

もちろん
クラブとは別に
独自に活動も開始していきます

本当の意味で

「自分との距離」
向き合うのは

まだまだこれからなのです


⑩へ続きます✨





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