⑮Memories of my dance life 言葉【再々追記あり】
【⑭からちょうど2か月ぶり
久々になってしまいました~】
マダムラキアのワークショップで
(Memories of my dance life ⑭参照)
何がきっかけだったか・・・?
彼女は半ば怒ったように
話し始めました
(英語で)
「2年前(2012年)に日本に来た時
とてもショックだった
テクニックがひどい
できていない
生徒がいての先生なのだから
先生はできてなくてはいけない
(インストラクターに対して)
今は良くなったけど
アメリカも以前はひどかった
フュージョンも嫌いじゃないけど
(当然ですが
オリエンタルを基本としていることが前提)
テクニックは非常に重要です
(ベリーダンスにとって
ですが
どのジャンルにとってもそうです)
ベリーダンスは美しいダンスなのですから!
・・・ダンスは私の人生なのよ!!!」
「“BELLYDANCE” is beautiful dance!」
・・・Dance is my life!!!」
彼女の言葉が
胸に突き刺さりました
なんといっても
ベリーダンスの
オリジネーターの言葉ですからね
彼女がいなければ
「ベリーダンス」
は
存在しないのです
ワークショップでも
目が潤みましたが
ワークショップはワークショップで
集中して受講し終了
彼女と写真も撮り
(Memories of my dance life ⑭参照)
ホテルへ戻りました
彼女の言葉
というより
彼女のベリーダンスに対する
計り知れない愛
彼女のダンサーとしての魂に
私の魂が共鳴したかのように
涙がボロボロ溢れだし
溢れて溢れて
止まらなくなりました
(不思議なくらいに)
かなり長い時間
泣いていました
当時のレッスンサークルで
私自身はもちろん
テクニック指導もまんべんなくしっかり
ダンスとしての振付レッスンもしっかり
真剣に行っていましたが
ごめんなさい
という気持ちが
湧いてきたのを思い出します
日本人として申し訳ない
という感覚ですね
この体験が
私の中に
ものすごい変容をもたらし
(もちろん2014年
1年かけて少しずつ変容していましたが
ここで完全に変わった感じ)
次のステージへの
起点になった
と
今だからこそわかります
当時
その時点では
もちろん
わかりませんでした
そのワークショップの後から
サークル活動が
終わりに向かい始めました
まるで崩壊していくように・・・
気持ちの上で
それまでのように
レッスンができなくなってしまったのです
形の上では
それまでと同じように
レッスンをこなしながらも(必死に)
心の中は
NO
もうできない
と言っていました
ストップがかかる感じです
自分の変容に
私自身も動揺し
つらい時期でしたが
「終わらせないと進めない」
ということは
自分の中ではっきりしていました
サークルの存在が
徐々に重荷になっていたんですね
無意識でしたが・・・
マダムラキアのワークショップから
3か月後
2015年1月で
2年近く行ってきた
ベリーダンスレッスンサークル
「AN-NUUR Bellydance Art」
は
終了となりました
(ワークショップのひと月後くらいには
終了を決めメンバーに告知)
胸は痛みましたが
次に行くための
必然の手放し(断ち切り)
ですね
【前記事
前々記事とリンクしていて
タイムリーですね
やはりそういう流れのようです✨】
サークル終了は
メンバーのためにも
必要なタイミングだったと思います
いろんな意味で
意識変容が起こると
目の前の現実も変わっていく
この
2014年という
ワークショップ受講年は
私にとって
次のステージへ進むために
なくてはならない年でした
ありがとう✨
ベリーダンスのマスター達
そして
マダムラキア
・・・いよいよです
私にとっての
ブレイクスルー
人生が変わる
マイルストーン
が
到来します
ちなみに・・・
↑シリーズ⑪からの写真は
サークル終了直後の私
⑯へ続きます✨
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